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MAKIKO WATANABE

1958年8月16日米国ミシガン州生まれ。1969年からダンスのレッスンを受け始め、1975年には奨学金を得てミシガン州立大学の舞踏課程に入学するも、1年で中退。スターの座を夢見てわずか35ドルを手に単身ニューヨークへ渡り、時給1ドル50セントのウェイトレスをしながら、本格的ダンスのレッスンを続ける。1982年、デモテープをきっかけにワーナー・ブラザーズ傘下のサイアー・レコードとの契約に成功。契約のきっかけを作ったキーマンでもあるマーク・ケイミンのプロデュースによる「エヴリバディ」でデビューを飾る。

デビュー作は、当時のダンス/クラブ/ディスコ・シーンを反映した非常に良質なポップ・アルバムだったが、セカンド・アルバム以降は、圧倒的な完成度が有無を言わせぬ迫力を呼んでいる。自らを完璧に対象化し、アイコンとしての迫力を見せ付け、男女を問わない支持を受けた『ライク・ア・ヴァージン』(1984)により、ポップ・クィーンとしての地位を完全に確立。

その後『トゥルー・ブルー』(1986)、『ライク・ア・プレイヤー』(1989)、『アイム・ブレスレス』(1990)と次々に大ヒット・アルバムをリリース。初のベスト・アルバム『ウルトラ・マドンナ~グレイテスト・ヒッツ』(1990)では、ブレイク前のレニー・クラヴィッツを早くも起用、若手アーティストへの先見の明を示した。

1992年には、自身のレーベル” マヴェリック”を設立。ヌード写真集「SEX」と共に、最大のタブーを破って見せたスキャンダラスな香りとエロス満載の超問題作「エロティカ」(1992)で世界中の話題を独占。続く『ベッド・タイム・ストーリーズ』(1994)では、一転してロマンティックなラヴ・ソング主体の作風に仕上げ、ここでの雰囲気はその後の”エビータ”(1966)での映画とサントラの成功につながって行く。1996年には、長女、ルルド・マリアを出産。そして次作『レイ・オブ・ライト』(1998)ではウィリアム・オービットをプロデューサーに起用、彼女のキャリアのコーナーストーン的作品となる。

続く『MUSIC』では新たにミルウェイズを起用しサウンド面での冒険を再び商業的/芸術的に成功させるた。またエッジの効いたサウンドと深く感動的な歌詞の内容の融合により新たにエモーショナルなケミストリーを引き起こす事に成功した。この流れは『アメリカン・ライフ』において更に進化を遂げた。

そして2005年11月、政治的でシリアスだった『アメリカン・ライフ』から一転したパーティ・アルバム『コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア』をリリース。プロデューサーのスチュワート・プライスと共に70年代のディスコ・デイズを思わせるダンス・ミュージックを現代風にアレンジしてみせた。アバのヒット曲「ギミー・ギミー・ギミー」をサンプリングしたシングル「ハング・アップ」が大ヒットする中、待望の来日を始め、世界中で精力的なプロモーション活動を展開。アルバムは28カ国でナンバーワンを獲得。全世界で1,000万枚以上の売り上げを記録し、日本でも70万枚を突破。